記者コラム 「多事奏論」 編集委員・谷津憲郎
堅苦しい式典のひとコマに、世相が映し出されることがある。かつて赴任した沖縄で、何度かそんな場面があった。
2017年の慰霊の日。安倍晋三首相が演壇に進む。その一瞬に浮かんだ、翁長雄志知事の射すくめるような視線を覚えている人は少なくなかろう。
10年前の復帰40年の式典では、地元出身の上原康助・元衆院議員が「なぜ(日米)両政府とも沖縄県民の切実な声をもっと尊重しないのですか」と熱弁をふるった。持ち時間をオーバーする長広舌にもかかわらず、会場から大きな拍手がわき上がった。
沖縄が復帰して50年がたった。
これまでの歩みを総括し、未来につなげる。歴史の節目だ。だが今回の式典は、いささか拍子抜けだった。
国土面積の0・6%の沖縄に全国7割の米軍専用施設が集まる。その構図について岸田文雄首相は「大きな基地負担」と言い、玉城デニー知事も「過重な基地負担」と言った。だがどちらも、米軍普天間飛行場の辺野古移設には触れず、対決を避けた。天皇陛下のおことばにあった「沖縄には、今なお様々な課題が残されています」というくだりのほうが、言葉に込められたものを想像させ、かえって胸に響いた。
会場は空席も目立った。沖縄の潮目は変わりつつあるのだろうか。
県民に聞いたこんなデータが…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル